マクスウェルは日本の夏のような蒸し暑い思いなぞしたことなかったんだろうなあ、と思ったらそうでもないようで、実験の為、夏のさなかに自宅で何日も大きな火を焚き続け湯を沸かしまくったことがあったそうです。火の番をしたのは奥様。偉業の陰には夫人の献身と努力があったのですね。しみじみ。
さて、暑い話はやめにして、涼しい話を。
少年時代のマクスウェルは、洗濯用のタライをボートがわりにして遊ぶことがありました。グレンレアハウスには池もありますし、近くにはRiver Urrという川が流れていますから、水遊びの環境には事欠かなかったことでしょう。
因みに、マクウェルが30歳くらいの時、邸からほど近くにGlenlair Bridgeという橋が出来ました。これはマクスウェルの叔父のRobert Cayが設計したものです。
因みに、マクウェルが30歳くらいの時、邸からほど近くにGlenlair Bridgeという橋が出来ました。これはマクスウェルの叔父のRobert Cayが設計したものです。
タライのボートは、マクスウェルの工夫によると、真ん中に木塊を置いてそれに跨がると安定して上手く操れるとか。この方法は後に従姉のJemima(画家)が水鳥の巣をスケッチする時にも活躍したそうです。
日本では伊東に「松川タライ乗り競争」なるイベントがあるようですが、マクスウェル式ではないのでバランス取りが大変そう...
学生時代は泳ぎの習得にも励み、14歳の年には、手紙に「少し泳げるようになった」と書いているのが見られます。まだ泳ぎの型が試行錯誤されていた時代。大好きでよく観察もしていたというカエルが、マクスウェルの泳ぎの手本だったようです。
彼が海水浴に行ったかどうかはわからないのですが、19世紀の西洋の海水浴はビックリするほど大変なものでした。水着?姿を人目に晒さないよう、bathing machineなる更衣室を兼ねた車を水の中まで馬で引いて行かせていたというのですから、お行儀が良いにも程があると思います(^_^;)
1 件のコメント:
ニュートンなどは、研究以外に生活の様子などの伝記を子供の頃に読んだことがありました。マックスウェルは、ここのブログで楽しく読ませていただいています。
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